2024年10月27日
桔梗と日々草の花を描く^^
〈桔梗と日々草の花〉
この夏の猛暑の中、健やかに咲いてくれた桔梗と日々草を描く。
ほんと、元気に次から次へと咲き誇る。
今もなお、咲き続ける。毎日の癒しとなる。
ありがとう!うれしい限りだ。
mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm
「田中 一村展 奄美の光 魂の絵画」を観に都立美術館へ。
彼の大回顧展だ!幼年期から終焉の地、奄美大島に住み描かれた
晩年の作品を展示!その数250点を超える。
田中 一村は知っていた。が、その作品は奄美に渡ってからの
奄美の自然を描いたものだ。
装飾的で美しい色彩、大胆な構図、澄んだ光を感じる、めっちゃ魅かれる絵だ。
そして今回、この大回顧展で、彼の若き頃の作品と出会う。
一見して感じたことは、ふ〜〜ん、他の日本画の大家と変わらぬなぁ〜。
そんな作品が並ぶ。
だが、「えぇ〜〜!」と驚かされる。
描いた年齢を見ると、な何とそれらの絵は彼が12〜3歳の頃の作品だ。
神童と言われた言葉がよく理解できるのだ。
徐々に観て行くと「秋色」と言う作品がある。
1930年代半ばに描かれたようだ。
あっ!これだ!
今までとは違った雰囲気の絵だ。
奄美に移り描いた絵の元となったような絵だ。
東京芸大(現)に入学するが、わずか2か月で退学!
家庭の都合と言われているが、確かな事実は不明のようだ。
「白い花」が青龍展に入選!
しかしその後、日展、院展ともに落選!画壇に認められず。
50歳にて単身奄美大島へ移住。
そこで奄美大島の自然を描き生活する。
69歳で他界するまで、奄美の光 魂の絵画を描き続けた。
彼の絵描き人生はみじめともいえるかも知れない。
でも本人は好きな絵を描き続けた人生。幸せだったに違いない。
画家なんて生存中は認められず、死後に人気となる人がけっこういる。
あのゴッホでさえ、生存中に売れた絵はわずか1点!
代表的な作品「アダンの海辺」、「不喰芋と蘇鐡」
これらは会場の入り口、出口にポスターとしてもある。
作品は撮影禁止!なのでこのポスターを撮ってきた。
この後、家内の趣味である書を観に。日本書鏡院展だ。
そして美術館2階にあるレストランでちょっと遅いランチを。
公園内では「モネ展」も開催中!
こりゃぁ、もう凄い!大長蛇の列だ。
そしてこの「田中 一村展」もけっこう混雑していた。
こんなに人気のある画家とは思っていなかったオッサンである。
とても鑑賞の価値あり!素晴らしい展示会であった。
鶏肉のチーズのせ焼き、トマト煮ソース。オッサンのオーダー
ハンバーグステーキ。家内のオーダー
※今日も私のブログご訪問、ポチ応援頂きありがとうございます。感謝しています。
都合によりコメント欄は閉じさせて頂きます。
にほんブログ村